藤浪 鑑(ふじなみ・あきら)・
京都大学病理学教室初代 教授
1870年(明治3年)11月29日,名古屋市の生まれ。実家は華岡青洲に学んだ元藩医の家系で,父萬徳氏は外科医,弟剛 一氏は放射線科医。4-5歳から漢詩を学び,小学生の頃は毎日1詩を作らないと登校が許されなかったという。

1895年(明治28年),東大医学部(当時は東京医科大学)を首席で卒業,山極勝三郎の病理学教室に入局。本人は将来皮膚科に進む 予定であったが,翌年,京大医学部新設に伴う教授候補として,4年間のドイツ留学を任ぜられた。

帰国と共に,最年少の教授として1900年(明治33年,京大医学部開講の翌年),京都帝国大学医科大学病理学教室の初代教授に就任 した。藤浪の人徳と高い研究能力により,京大病理学教室は全国に多数の優秀な医学硏究者を輩出した。

1903年,片山病研究を開始
1904年,片山病の遺体解剖より日本住血吸虫を発見(虫体自体の発見は岡山医学専門学校の桂田が4日先行)
1905年,家鶏腫瘍の研究を開始
1910年,片山病の経皮感染を証明し予防法を確立
1910年,鶏肉腫の移植系の確立。同年,ロックフェラー大学の ペイトン・ラウスも鶏肉腫の移植系を確立
1918年,「日本住血吸虫症の研究」で帝国学士院賞を受賞。
1930年,第20回日本病理学会にて宿題報告「家鶏肉腫の病理」を行う。同年退官。
1934年,(昭和9年)11月18日,腎不全で死去。自費で購入し京大に寄附した解剖台の上に載られた。

1966年,ラウスが発がん性ウイルスの発見でノーベル生理学・医学賞を受賞
1980年,花房らが藤浪肉腫ウイルスの遺伝子構造を解明しラウス肉腫ウイルスとの類似性を明らかにした







剖検示説 (単行本,藤浪鑑 著,大正12年,実験医報社発行)は,
病理解剖の49例を収録したものである。ここでは,大月均博士より譲り受けた複製本を基に,序文と,最終章に当たる課外小話の部分を掲載した。

最初に,病理理解剖が単なる形態観察にとどまってはならないこと,
病理解剖学が「行き詰まりの学問だとは信じられない」と述べている。100年余りが経過した現在においても,藤浪先生が強調している臨床病理相関の重要性,他の検査法の併用,日本語での記載,人道上の配慮の義務の重要性は,変わらない。

文中の (    )で示した読み/意味,および下線は後から付け足したもの。
一部は新字体に変換して表記している。


剖檢示説

醫學博士 藤浪鑑 述

はしがき

 病理解剖學の研究が主として解剖學的方法に依て行はるるは 事實なるも,其志は亦常に病態生活機能の闡(せん)明に存す。されば死せる人體の組織のみに就て,其外貌形態のみを究め,唯其だ けにて事足るとなすが如きは,進歩的なる病理解剖學の本領に非ず。さり乍ら,解剖學的思想が總ての生物學の根柢を なす如く,之が亦病理學の中堅を形作ることは今猶古の如く,將來も亦然る可きであって,且(かつ),病理解剖學は臨牀醫學に對して常 に甚深(じんしん)甚密の關係を有せり。而かも兩者が愛依り相俟(ま)つの必要を最も痛切に示し,且,倶共(ともども)に學術的興趣 を直接に感受するものは實に病體剖檢なり。されば剖檢に當って,病理家は必ず臨牀所見を知悉して後に刀を執り,臨牀家は親(みずか) ら一々生前の所見に徴(ちょう)して之れが觀察を遂げ,兩者常に相協戮(りく)して該當例に於ける病理の全體を闡明するを力む可きな り。而して此際,必要に應じて其れぞれ他の補助技術をも用ふ可きは言ふ迄も無し。よし各例を悉く斯く理想通りに調査し能はざる事情あ りとするも,成る可く之に近づくやうに心掛く可し。蓋(けだし),現在に於ける病理解剖學の知識と技術とは,未だ各種の疑問を悉く解 決し得ると云ふ保證をなすに至らず,亦臨牀家の知り度しと希望するものに對して,總ての場合,遺憾無き釋明を興(あた)ふるを必し難 しと雖も,斯学(しがく)の進歩は將來の光明を期待すること大なるものあるが故に,我が病理解 剖學が行き詰まりの學問なりとは決して信ぜられず。

 此剖檢によりて獲たる材料を以てする病理解剖學的示説が, 醫育上大切の學科なることは今更説く迄も無し。我教室にては第三年學生(來年度よりは第三年及第四年學生)の爲に「病理解剖學實習」 と云う名にて,此所謂「デモンストラチオンス,クルズス」を實施し居れり。此課は我邦にては東京の山極教授によりて初めて開かれたる ものなり。(同教授の著書「病的材料觀察法實習」あり,世に行はる。)此示説には,固より平凡なるもの多し。然し平凡は不必要と云ふ ことに非ず,要は實例實物の觀察に在るなり。今本誌(=實驗醫報社)編輯者の嘱に應じて,此の中より若干の例を拔摘して其槪要を記 し,世の臨牀家諸君の参考に供し度しと思ふ。剖檢例の排列には固より順序あるに非ず,記事の體栽亦必しも一定せず。


五十,課外小話 剖檢に就て


我 が「剖檢示説」の席に侍したりし二三子と雑談に耽りたる時のことなり,某生,余に問ふて曰ふ,日新(=日々新しくなっていく)醫 學に於て,病體剖檢の用は果たして何なりや,又これは如何にして行う可きものなりや,と。
古めかしき問を聞くもの哉(かな)。然れど も人は自分が現在辿りつつある道の何なるやを,既に可なり明に意識して居り乍らも,或る機會に遭遇する毎に,更にその意識を 一層明確にしたしと希望するものなり。初心の人には非ざる某生の口より此無用に似たる問の出たるを,余は敢え て怪まず。余がこの時,彼に答へたる一節を玆(ここ)に筆錄するは,亦鶏肋(=鶏がら,大して役に立たないが、捨てるには惜しい もの)の意なり。

 患者が不幸にして死したる後。この遺骸を解剖して身躯臓器 の病變を觀察するこの剖檢の目的は,一は實際的醫學の充實に資し,一は純理的醫學の進歩を圖るに在り。

 この兩者が常に親密の關    係に立てるは,今更呶々(どど)する迄も無し。而して我剖檢示説の課に於て,その仕事とするところは,各剖檢例に就て,一は個々の病理解剖學 的變化を指摘してこれが認識を實地に習ふこと,一は個々の病理解剖學的變化を綜合して考察し,更にこれを臨牀所見と相對照し,依て當 該例に於ける疾病の眞相を窮理することに外ならず。「人間」の「疾病」を硏究(=研究)するを以て醫學の最主要の使命なりとするなら ば,この剖檢示説は亦大切なる課業の一ならざるを得ず。

 患者屍の剖檢は固より病理 學,殊に病理解剖學の仕事の全幅に非ず。されども,直接に人體ーよし死したる後にてもーに就てその疾病の現はれたる形跡を,身體の奥 底迄も立ち入って仔細に觀察することは,生活せる人體を臨牀家が取扱ふのと同じく,他の純實驗の科にては爲し得られざるところにし て,「人間」と「疾病」とが我醫學硏究の最主要の對象なるに鑑み,この剖檢は我が病理學,殊に病理解剖學に於いて,最貴重なる役目に 當りつつあるなり。

 病理解剖學は,解剖學と云ふ名あるも決して純粹の記 載學のみにて終る可きものに非ず,個々の剖檢例に於ても,吾々が唯,個々の臓器の病理解剖學的變化を識認して,こ れを單に羅列するのみのDescriptionにて能事畢る(のうじおわる)とするならば,そは餘りに乾燥無味なり。吾人は單なる 「記載」より進んで説明の態度を取らざるべからず。卽ち個々病變の形成の由來を勘へ,個々病變相互間の關係を明にして,當該例に於け る疾病のHistorieを出來るだけ探知するやうに心掛けたきものなり。

 病理解剖學は上述の如く,唯單純なる記載學にて始終するも のならず。彼は常に病態整理學Pathologische Physiologieと相携提して行かねばならぬものなり,方今(ほうこん)の醫學に於て,この病態生理學の一を何處に持ち行くべきかの問題は特に議論 を要することなれば,今之に立ち入らざるべし。されどこの病態生理學を今後更に發達せしめねばならぬ必要は,恐らく多くの人の認むる ところならむ。この病態生理學は一面,現今の「病理學」の中に攻究せられつつあると共に,臨牀醫學の患者觀察に於て更に亦大に行はれ つつあるなり。臨牀家が患者の變調せる生活機能に就て觀察して得たる病態生理學と相携提せる病理解剖學は玆(ここ=茲)に始めて死物 にあらぬ材料を獲るなり。

 生前の病的生活に關する知識を缺ける(=欠ける)剖檢 は,ー法醫學的剖檢は今,別問題としてー枯木を植ゑて庭を作らむとするやうなものなり,索莫(さくばく)の感に打たるるを奈せむ。死 後の剖檢を果たさざりし臨牀觀察は植ゑて然かも餘りに早く枯れ行ける若木にも比ぶべし。遺憾の情多きものあらむ。臨牀觀察に據(よ)つて知りたる生前の生活機能變調 と,死後剖檢に就て目撃する病理解剖的變化とは實に常に深甚の結托無から可からず。親しく剖檢の席に列してその病 變を觀,又これに就て病理解剖家の考察を聽くことが,臨牀家にとりて甚有用なるが如く,剖檢に際し,その生前の病歴や症候を知悉して 刀を執るは,病理解剖家に取りても學術的興趣多き業なり。臨牀家が病理研究者として剖檢に立ち會ふ如くに,病理解剖家も亦病理硏究者 として生前の臨牀的知識をも獲んとするに,何の不思議も無い筈なり。故に余は嘗て臨牀家の好意にョりて,死後剖檢の行はるべき患者を 生前に親しく觀たることあり。然かもこれが大抵毎剖檢例に就いて行はれし時期もありたり。このとき主任の臨牀家より注意すべき病症を 指摘せられ,又疑義の在るところをも聽き依て己の腦裡に深き印象を刻するを得,その後に剖檢に從事するが故に,執刀者も唯器械的に漫 然死後の形跡のみを觀ると云ふに非ずして,常に疾病の硏究者と云ふ立場に在て十分の學術的興趣を攝取するを得るなり。且つこの場合臨 牀家にとりても,剖檢の目的に對し都合好きこと多し。但,この生前の觀察は,色々の事情,寧ろ,余の側の事情に餘儀無くされて,目下 は大に疎遠になりたるが,出來得べくばこのことの復活するやうにとの希望を禁ずる能はず。

 斯かる用意の下に行はるる剖檢に於て,吾々は果たして何を 爲すべき乎。吾々はこの場合,個々の病變を正確に識認し(このこと自ら亦固より少からぬ經驗を要するところなり),又その個々の間の 關係を考察して,

こ の例に於て死は如何にして惹起されしや,ー主要病變は何なりや,ー又何處にありや,ー孰れの病變が原發にして,孰れが續發なり や,ー將た(はた)合併性のものなりや,ー病變或は疾病は如何に始まり又如何に經過したりしや,ー解剖的病變より推して如何なる 性質の疾病なりしや,ー又答へられ得べくば疾病或は病發の原因が何なりや,ー解剖所見よりして臨牀像を説明し得べきや,ー體質は 如何なるや,體質の特殊性を推知すべき標徴ありや。

等の問題に對し,出來得らるるだけの答案を出したし。經驗に 富みたる病理解剖家ならば,その解剖的所見のみよりして疾病像を描き出すこと必しも不可能に非ず(その不可能なる場合は亦固よりあ り)。彼の最大の病理解剖學者と稱せらるるロキタンスキー氏が,病牀に於ける出來事の歷史を死體の所見に據て組立つるに努力せしと云 ふを以て當年の精彩なりと賞讃せられしが如き,固より不思議なりとは思われず。誠に顯著なる病變を示すものならば,假令(けりょう) 臨牀的病歷(=歴)の全く無き剖檢例にても,一程度迄はこのことを爲し能はざるに非ず,況んや吾々の剖檢は原則として既述の如く臨牀 的知識と相携提するものなるに於てをや。吾々にして細心の注意を拂ふならば,上述の諸問に對し大抵のところ迄は判定を與へ得るのが常 なり。今日の吾々の剖檢は,昔時の如くは唯,粗大の肉眼的形態學的觀察にて滿足するものに非ず。肉眼的觀察の甚重要なるは言ふ迄も無 し,唯,これに繼ぐに必ず顯微鏡的檢査を以てするを緊要す(或は新鮮檢査,或は固定,染色等を用ゐ)。余の教室にては,旣に久しき以 前より各剖檢例に就て必ず顯微鏡的檢査を行ふを規則とし,且つその所見を剖檢記事に載することとせり。細菌學的檢査の如きも亦常に剖 檢に隋從すべきものなり。殊に傳染病或は細菌性疾患の剖檢に於てはこれを缺如し能はざるや論無し。その他,化學的檢査(殊に組織,或 は體液,或は體腔,臓腑内の液體に就て)及血清學的檢査(例之(たとえ),ワッセルマン反應の如き),場合によりては動物試驗(例 之,結核の材料を「モルモット」或は家兔に試植してその病變を觀るが如き)をも併せ行ふ必要あり。吾々は解剖刀を執て剖檢を行へど も,同時に出來得るだけ種々の新らしき補助檢査方法を應用すべきなり。

 吾々が剖檢に由り個々の臓器の解剖的觀察を行ふに當り,疾 病局所主義に據り,個々局所的病變を仔細に取調ぶるは固より當面の緊要事なれども,唯,この局所觀のみにては不可なり。身體の組織は 到る處,絶えざる交通連絡あるものなれば,全然局所的に限られたりとして疾病を觀るは果たして穩當なりや。余思ふに,個々の病變をそ の關係の上より觀察するは,局所的觀察と共に甚,大切なり。されば剖檢に際して,いきなり個々の臓器を何の考慮も無く,切り離して取 り出し,然る後これを調ぶるが如きは極めて不可なり,必ず先ず四圍との關係連絡に就て善く,檢査を遂げたる上,その連絡を保ちたる儘 臓器を割斷するか,或は切り離しても善しと見極めたる後に,始めて切り離すべきなり。斯くて病竈(=病巣)の關係を啻に附近に探知す るのみならず,更に又これを遠隔の地にも求め,茲に「局所觀」と「關係觀」とを出來得るだけ完備せしむるを要す。又この「局所觀」及 「關係觀」のみにては尚足らず。疾病の研究に對して然る如く,剖檢に於ても,その個々の局所の病變及その關係を全部悉く綜合して一纏 めにしたる全身の觀察は亦重要なり。體質の如きは茲にもその意義の灼然たるを見る。すべて病理の攻究に際し,所謂「解剖的思想」の尊 重すべきは固より當然なれども,餘りに偏狹なる局所主義に囚はれずして,又善く「關係」を明にし,更に又「全身」としての觀察も出來 得るだけ徹底せしめたし。

 さり乍ら,剖檢に由る病理解剖學的檢査は,假令,上述の諸 方面の檢査方法を参加せしむるとても,その主とするところは死後の人身に就ての形態學的檢査に外ならざれば,如何に剖檢の功用が大な りとはいへ,吾々がその功用を攝取するには常に細心の注意を要す,然らざれば屢大なる誤診に陥り易し。又この死後の檢査に於て,總て の場合,如何なる疾病或は病變に對しても,その眞相が必ず十分に明白となり,復,餘蘊(ようん)無きに至ると,輕信するの不可をも知 らざるべからず。」吾々が病變を觀て,その何者なりや,又意義如何を判斷するに當り,特に注意すべき點多々あり。卽ち剖檢に際し目撃 せらるる異常が果たして眞に生前に生じたる病變なりや,將た瀕死時若くは死後の現象なるやを辨別するを要す。死後に於ける組織自家融 解若くは腐敗に屬する狀態にも種々の形相あるが故に,それ等をも一々,細心に鑑識すべし。その他,疾病の如何に由りて,是等死後現象 の發生に著しき速遲強弱の差あるが故に,死するときの狀(=状)況如何,死より剖檢に至る迄の時期長短如何,この期間に於ける屍體の 處置如何,個人的性質如何,氣候如何等に就ても十分に心を籠めて之を参考の資に供せざる可からず。一々の病竈を手にしてその性質を判 定する場合にても,唯,その形狀の大なるがためのみを以て直にこれを原發竈となすが如き過は,吾々の往々遭遇するところなれば,數多 きこの種の失錯を回避するやう,常に愼重の態度を取り度し。然れども吾々は斯く十分用心深くして剖檢に當ると雖,所謂「死因」或は如 何にして死が惹起せられしかを確定する上に於て,又病原病因を認識する上に於て,又病變の解剖的所見よりして疾病の性質を判定し生前 の疾病像を組み立て若しくは説明するに於て,ーよし大多數の例に於いてこのこと可能なるにもせよー時としては,不可能を示すこと無き に非ず。卽,特殊の形態的標徴の確實に捉へ得られざる場合,官能障碍が主にして形態的變化の殆,補足し得られざる場合等に於ては,解 剖的檢査のみに據る判断が,徹底を缺くことあり,或は良心の滿足する判斷を下し得ざることあり。屍體剖檢に由りて總ての場合,所謂 「死因」は必ず明白となるとのみ思ふは決して正當に非ず。又總ての場合に疾病の原因が必ず探求し得らると斷言するは確に誤なり。實 際,吾々は剖檢に由りて死後臓器の所見よりして,如何に死が惹起されしかを眞に判定し得る場合多し,又一定の解剖的所見に憑據(ひょ うきょ)して病原病因を推測し若しくは確知し得る實例少からず,而かもこれを隨分微細のところ迄追究して誤らざりし經驗もあり然れど も他方にはこの種の斷案を下し難きもの必しも甚稀少に非ざるは,拒否し得られざる事實なり。是等の點を一々の實例に徴して説述し度し と思へども,時間を要する故に,今は割愛せむ。

 剖檢の業が我醫學に於て重要なることは今猶昔の如く,將來亦決して渝らず(かわらず)と雖,若し人この剖檢にのみ金甌無缺(きんお うむけつ)の價値を措(お)き,これに常に,萬能の效驗(=効果)ありと信ずるならば,そは疑も無く誇大なり,眞に己を知るものとは 謂はれず。他の總ての病理學的檢査方法にて於て然る如く,茲にも己の領域が決して廣大無邊にては非ざるを自覺すべきなり。無理に己の 領域を突破して強辯自ら欺かむとするは,決して學術を愛する士のことに非ず,又眞に己の長所を理解してこれを發揮する所以(ゆえん) にも非ず。但,斯く謂ふは,決して吾々を退縮せしむる理由とならず。何となれば吾々の病理解剖學的檢査法は,u(ますます),精緻と なり,殊にその組織的檢査に至ては,官能(=感覚)及生物化學的機能を形態的に探知し得る領域漸く攝iし來れるが故に,吾々は常に怠 らずこの病理解剖的研究法の進歩と相携提して行くならば,剖檢に於ける能力の境界も絶えず擴大するのみなればなり。斯くてこの剖檢が 一面に於いて多くの新き補助檢査方法を利用すると共に,他面には臨牀上に於ける病態生理學的現象と死後に於ける形態學とを結附くるに 鋭意ならば,剖檢の純理竝(ならび)に實際の醫學に對する効用はu,その大を加ふるのみなるべし,剖檢の目的が唯,死せる形の記載の みに非ざるは,既記(=既記)の如し。病理解剖學は亦「生活」を研究する學科ならざるべからず "Mors vivos docet"(= mortui(複数形) vivos docent {the dead teach the living}, is a phrase used to justify dissections of human cadavers in order to understand the cause of death.)といふは,必ずしも甚誇張の言に非ずと信ず。


 尚ほ一言剖檢の記録に就て一言せむ。こは剖檢に於ける實地 を現在見たままに記載するものなり。己れ剖檢しつつその所見を語り,これをその場にて直に筆記せしむるを法とす。實地を在りの儘に記 載して出來得るだけ誤無きを期するが故に,剖檢の後に記憶を辿りて記事を作るが如きは,止を得ざる場合の外は,その誤を惹起し易き理 由によりてこれを避けたし。記載の仕方は出來るだけ秩序的に且つ出來るだけ精密なるを要す。粗に失するよりも寧,密に過ぎたるを取 る。剖檢は一時のことにして,記録はその所見を永久に留むる唯一の手段(標品の残り居るものは別として)なれば,後來剖檢記録の記事 を整理して一定の病的減少に就て綜合的觀察を行はんとする場合に,この記録の認め方如何は非常の影響を及ぼすが故に,吾々が剖檢記録 を作るに當ては正確なるは勿論,又十分に綿密なるを要す。而して後日剖檢記録を操る場合に,剖檢の當時には左程意に留めざりしため, 省略したりし事柄に就て遺憾を感ずること屢なるに鑑み,記事の秩序と精密とは常に甚,大切なり。理想的の剖檢記録を集輯(しゅうしゅ う)して,これより一定の疾病或は病變に就て統計的觀察を行ふが如きは,我國の材料に據りて種々の研究を擧ぐべき必要を有する今日の 我が醫學界に於て,特に意義の重きものなれば,一枚の剖檢記録とても亦決して軽々に処置すべきに非ず。

 剖檢記録は邦語を以て作る。これは我 國に於て當然のことなり。書く人が遺憾なく書くを得,讀む人が遺憾なく讀み得るは邦語なるが故に邦語にて記すなり。實を言えば,余の 教室も創立の時(今より凡,二十年前)の一ヶ年は,他の顰に倣ひ,独逸語を以て記録を作りしが,余は直に種々の弊害あるを認めたる 故,次の年よりは邦語を用ゐ,爾来今日に及びたり。都合によりては邦文中に外國語を交ゆるも可なり。是れ固より外國語排斥などと云う鎖國的感情に駆られた る業にては非ず。

 剖檢記録には必ず臨牀所見の抄記をも附したり。これ は臨牀所見と剖檢所見とを,對照するためなるが,この對照を今よりも更に一層利便なる仕組みを以てしたしと思い居るなり。

 剖檢は,設備の十分に整ひたる處にあらでは出來ずと思うは 誤なり。設備の整頓は固より願はしき次第なれども,然らざる處にても亦簡單になし得らるるなり。余は嘗て旅行先の片田舎にて俄に剖檢 を行う必要に迫られたることあり。何等の用意も無かりし余は,いそぎ油紙を二枚求めてこれを胴に纏ひて手術医に代え,鍛冶屋にて出刃 包丁を購ひ,人より剪刀を借り,これにて當面の目的に對して殆,遺憾無く,剖檢を果たすを得たり。實際醫家は若し剖檢を行はんとする 熱心だにあらば,何處にてもこれを為し得らるるなり。

 剖檢は何處にても為し得らるるに相違無しと雖,少くともそ の學術的必須条件が充たされ得る程度に於て,剖檢者に病理解剖學的素養あるは勿論緊要なり。而してこれと同時に剖檢者は亦人道上にも 深く意を用ゐる義務あり。屍體の剖檢は兎角醜悪の感を惹き易きが常なれば,剖檢者は出來得るだけ注意して,剖檢に寧,清浄の觀あらし む可し。初心の人が屢なす如く,屍體の外表や剖檢臺(=台)上のあちらこちらを乱雑に汚血にて染め,己の手は掌といはず背といはず, 凝血の附着せる儘,刀を舞し臓を剔(てき)する様は,宛然たる地獄相にて,一見人をして惨酷の思あらしむ。加之(しかのみならず), 斯の如きは剖檢者が病毒の感染を避けるためにも,又剖檢の學術的目的を達するためにも,頗,宜を得ざる仕業なり。之と反対に剖檢者が注意して水を用ゐ,絶えず無用の 汚物を洗ひ流し,常に己の手のみならず屍體の外表や剖檢台上を清潔に保つことは,余は決してこれを些事なりとして無頓着に閑却す るを欲せず。剖檢の材 料たる屍體に対しては,これを敬するの意を失う可からず。余の教室の習慣にては必要以外の時には、顔面を布にて被 うと共に陰部をも同様にするなり。これは死者の面貌を見るは誰しも心持の好きものに非ず、陰部の曝露は如何にもその人の尊厳を侵すを 感ぜしむを以ってなり。余も初は西洋の諸教室にて観たるところに倣い、このことに就いて余り関心せざりしが。後、余の友人を剖検した る際、傍人と共に痛切にこれを感じたるが故、爾来十数年の間この習慣を失わぬようになし居れり。これは生前余の友人にてありし人と然らざるとを問わず、同 じ様に敬の一念を失い度く無きがためなり。人一たび死したる後はその遺骸に対して犬や兎の死体に対すると全く同一 の心持を以てこれに臨むこそ、医学者、科学者の態度なれと言うは余の志と一致せず。